家内を平成十三年の三月に亡くしました。上前津の長松院で葬儀を行いました。特に信仰が厚いというわけではありませんが、やはり神聖な場所で葬儀をあげたいと。東海典礼に葬儀を任せましたが、家内の好きだった花を、祭壇はもちろん通路にまで飾ってくれ、出棺の際には、大正琴による美空ひばりの「川の流れのように」を流してくれました。家内は大正琴の師範をしておりまして、遺族にとっても思い出深い音色。参列してくださった皆さんにも心に残る葬儀だったと思います。葬儀は、お金をかければよいというものではなく、死んでいく者が満足すればいい、そう思います。

 家内が亡くなったのは六十歳で、死ぬには早かったなと思います。しかし、彼女はよく生きたんだと思います。大正琴を教えるかたわら、ボランティア活動をし、私とよくゴルフにも出かけていました。そのため驚くほど交友が広かったんですね。人生は決して長さではない、二十年を十年で駆け抜ける人生でもいい。十二分に生きたと思うことが大切です。自分が納得して死を迎えられたら、いい人生だったといえるのではないでしょうか。最後の別れ際に、家内の棺の中には、たくさんの花といっしょに木製のゴルフセットも入れてやりました。向こうでも好きなゴルフを思う存分楽しみなさいとね。
 
 私が生まれたのは、昭和九年で、少年時代は戦争でしたから、敗戦の荒廃から復興へ向かう中で中学を卒業しました。卒業した後は、自分で事業を興して一旗揚げようという気持ちでしたね。一生懸命に働きましたし、創業し、社長を退くまでそれは同じで、息子たちも親を見て育ったと思います。とにかく一日一日よく働き、よく遊ぶことです。ただ、人に迷惑をかけてはいかん。恩は人間関係そのものだから、借りたら返す、それが徳の道、道徳。だから徳を積んでから歳をとらんといかんな、頑固になるばっかりで。昔から言うでしょう「垣根を外せば光が入る」。我を張りすぎると友だちも失うし、新しい見聞は固定概念を外さないとね。

 葬儀会社はこれから大変だと思いますよ。そもそも、葬儀を仕事にすることそのものが大変なことです。それは死んだ人の始末をするということだから。家族の死さえ、家族だけでは手に負えないものなんですよ。おまけに、遺族は、死に直面して混乱しているから、心配りも求めます。葬儀会社も教育の時代で、思いやりのある葬儀とはどんなものかをきちんと考えなくてはならない。よい葬式になるかどうかは「人」で決まる。「徳」なんです。おしぼり一つでも、心のこもったおしぼりは違うからね。

 自分の葬儀は、冗談で話題に出すことはありますが、とくにこうしてくれと注文することはありません。息子たちが思う葬儀をしてくれればいい。前にも話しましたが、親の生き様を見ていますから。
 
 仕事は、五年前に息子に会社を任せて以来、まったくノータッチです。自分で興した会社ですから、放ったものの粗探しをしてはいかん。全国紙業工業組合の副理事長を務めて全国に交友はありますが、これからは仕事ではない新しい友だちと人生を楽しんでいきたい。ライオンズクラブや近所の友だち、夫婦でつきあっていた友人たちとね。ゴルフだけでなく、旅行や写真など趣味も広がりました。三月〜九月は高山植物の写真を撮りに、トレッキングに出かけています。友だちが増えると、七十歳でも手帳が埋まりますよ(笑)。家内がいたころは、男子厨房に入るべからずでしたが、今は料理もなんでも自分でします。自由と自己責任は両天秤ですから。今も妻とは話しますよ。自由に遊んでいるよと。人は、裸で生まれて、裸で働き、裸で還るんです。生かされているんですよ、人間は。
 
 
   
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