世界にはいろいろな国や民族があり、さまざまな文化を育んでいますが、その国や民族の特色を、一番的確に把握できるのが葬式です。どのような葬儀をしているかで、国民性や民族性が一目でわかります。キリスト教圏内の人々に共通した文化があるし、儒教もイスラム教も、また鳥葬に代表されるゾロアスター教もその通り。日本もまったく同じです。
 日本の葬式の営み方は、日本人の精神的な基盤や伝統・慣習を如実に表現しています。もちろん日本のなかでも、地方ごとの習慣や伝統に裏づけされた地方色・地域色といったものはあります。しかし全体的に見れば、日本人に共通した精神風土の中で営まれています。それが日本の文化です。日本人は何によって生と死を分け、死後の世界をどう考えているか。それが葬式によく現れています。
 
 戦後、日本は憲法で宗教教育を禁止しておりますので、学校はもとより社会でも、これに触れることはいけないことのように思われていますが、それはとんでもないことです。宗教を抜きにして日本人の性格を語ることはできませんし、なかでも葬儀はきわめて重要な文化として位置づけられています。
 古い言葉に「村八分」があります。これは村民に規約違反などの行為があった場合、地域の申し合わせにより、その家との交際を断つという意味ですが、この「村八分」の八分とはいったい何でしょう。それは村の行事を十とした場合、火事と葬式は例外として、残り八つの行事については交流しない。だから「村八分」というわけです。火事と葬式には一切を水に流して協力するのです。
   また井上靖の小説『化石』に登場する主人公の母親は、過去、親戚に出した結婚式のお祝いと、葬式の香典の額を克明に書き記し、次の機会にはこれを参考にしながら、お祝いや香典の額を決めています。人生には結婚式と葬式だけが残るのです。結婚式までは子供として親の庇護のもとにあり、大人として認められるのは結婚式から。そして人生を終える時が葬式です。この2つを何よりも優先し尊重するのが日本人です。
 
 最近の若い人たちは、結婚式を自由な形で行っています。それこそ主義主張や宗教によって、形式は千差万別です。しかし、葬式はそういうわけにはいきません。自分はこの世を去るにしても、残された人たちの後々のことを考えますと、葬式の文化は大切にしなければいけないのです。ところが最近は葬式に関して、いろいろに遺言をする人が増えています。
 たとえば文豪といわれた森鴎外もその一人です。彼は「死んだら『森林太郎の墓』として作ってくれ。戒名はつけるな」と親友の賀古鶴所に、こんこんと遺言して亡くなりました。『森林太郎』は彼の本名です。それでどうなったか。なんと戒名が四つもつきました。残された遺族の心情を察するに、戒名がないというのは、なんとも落ち着きが悪かったのでしょう。それで遺族がそれぞれ知己の寺に頼んだために、四つの戒名がついてしまったのです。こんなことになるならば、死んだ時に檀那寺に頼んでつけておけばよかったと思います。
 ですから長年の伝統・習慣・慣習を無視して、こういうふうにやりたいといっても、そうはいかないのです。「戒名はいらない」といっても、四つの戒名がついてしまう。それだけ葬式の文化には根強いものがあります。日本人の心情にそぐわない、妙に新しいことをすると、遺族は何となく落ち着くことができず、いつまでも安心できない思いを抱き続けることになってしまいます。
覚王山日泰寺本堂
 
 これはお墓についても同じです。最近はお墓を作らずに、散骨を希望する人もいるようですが、あれが日本に定着するとはとても思えません。それが証拠に「お骨はないけれど、お墓を建てるにはどうしたらいいか」。私どもにも、そんな相談がたくさんあります。お話を伺うと「両親の遺骨は寺に合同納骨し、お墓は建てなかったので、若い頃は墓参りなどしたことがなかった。ところが自分が亡くなった両親の年齢に近づき、周囲を見ると、お盆やお正月やお彼岸には、どこの家庭も家族そろってお墓参りに出かけている。できることなら自分が亡くなった後は、家族にそうやってお墓参りをしてもらいたい。今思うと、両親には申し訳ないことをした」と。
茶席 草結庵 別名太郎庵として有名
江戸時代天明年間の建築 県文化財
   日本人の心の中に受け継がれてきた伝統ほど、偉大なものはありません。そういう意味では、葬式は皆さんが気楽に考えるほど底の浅いものではなく、日本民族の根幹をなすものといってもいいほどです。そうはいっても長い年月の間には、簡略化されたり、洗練されたりして、少しずつ変わってきているところもあります。何から何まで昔の通りというわけにはいきません。しかし先にも述べたように、多少の違いはあっても、全体的に見れば同じ伝統のもとで、葬式と死者に対する供養が行われています。
 
 それで今、何が変わってきたかといいますと、葬式の場所です。結婚式も昔は家で行っていましたが、それが神社になり、今は専門の結婚式場が主流になっています。葬式も同じように家から寺へ、そして専門の斎場へと変わり始めています。これは参列者へのもてなしを一身に負ってきた主婦を、過重な負担から解放しようという新しい動きであり、時代の変遷から生まれた知恵でもあります。
 また近年、日本社会に根づき始めた新しい習慣に、企業が行う社葬があります。これは某葬儀社の先代社長が考案したもので、歴史は非常に浅いのですが、これほど急速に定着したのは、先代の功績を称えると共に、企業の次代を担う人を葬儀委員長として立て、新体制を発表するという重要な意義を兼ね備えているからです。
 人間の社会はよくできたもので、無駄なものはやがて消滅します。昭和8年にトーキーが入ってくると、もてはやされていた活動弁士もいつしか消えてしまいました。江戸時代にあれほどいた駕籠屋も、鉄道馬車や人力車の登場で、いっぺんにいなくなりました。このように社会に不要なものは、放っておいてもなくなります。それに対して存在意義のあるものは、時と共に形を変えながらも、連綿と伝承されていきます。
 葬式や結婚式も本来、役所に届けを出せば、それで済むことですが、現代まで営々と行われてきています。それをなくしてしまったら、日本人のアイデンティティがなくなってしまうからです。日本人は日本人らしく、昔の通りにとはいいませんが、昔から伝統にそった葬式を執り行うのが、一番日本人の心情にマッチしています。世界中どこの国も民族も、そうやって先祖伝来の文化を受け継ぎ、守りながら次代に伝えています。
総檜造り 名古屋市文化財
 
 
   
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