東海典礼がお送りする方々に語り続けてきたもの。
それは清らかで、つねに尊敬として、格調と格式という姿勢を葬儀に表現していく信念です。その信念が葬儀を通じて、お送りする方々と送られる方々の気持ちとつながることで、東海典礼の葬儀の歴史はつくられ、信頼が築き上げられました。
かけがいのない大切な方、未来に語りつがれる方々は時間の奥にあるものです。
人への思いの深まり、葬儀への関心の高まり、社会への働きの広がり、それらを大きく包み込み、東海典礼に何を託していただけるか、東海典礼はセレブの方々をお送り続けてまいりたいと願っています。
 
ここ何年かで社葬のあり方に変化が見られるようになってきました。社葬をひと言でいえば会社のトップや功績のあった社員が亡くなったとき、会社が主催する葬儀のことです。葬儀というのはもともとが宗教的な儀式から始まっています。しかし全てが宗教的な儀式で終始するわけでもありません。故人との永久の別れを惜しむという、かならずしも宗教的とはいえない部分も含まれています。
 故人とのお別れの仕方にはいろいろあります。特に最近ではホテルを会場として開かれる「お別れの会」「偲ぶ会」のような形式の葬儀も見られます。
 
 
   
 
 社葬と対比されるものに個人葬があります。一般的には、むしろ葬儀といえば個人葬をさす言葉でした。やがて会社や団体などの組織の中で、地位が高かった故人の業績などを讃えてより広く社会にアピールするため、遺族に代わって会社などが葬儀を主催するようになり、個人葬から独立する形で社葬が誕生していきます。
 一方、個人葬には遺族のグリーフ(死別・喪失の悲嘆)プロセスがより強く存在します。つまり遺族が主体となる個人葬と、主として生前の業績をアピールすることを目的として営まれる社葬とでは葬儀の性格が異なります。葬儀というのは故人をあの世にお見送りする儀式です。「葬式」というのは1度しか行わないのが普通ですが、故人を送る主体や儀式の性格が異なれば2度行われてもおかしくはありません。そこで亡くなった直後に私的な形で葬儀が行われる場合を「密葬」、公的に開催する社葬を「本葬」と呼んで、2つの葬儀を区別するようになりました。
セレブの方々の葬儀が行われる覚王山日泰寺本堂
 
セレブの方々の葬儀が行われる覚王山日泰寺普門閣
 葬儀の前には通夜が営まれます。密葬と社葬が行われるのならば、通夜も2回営まれることになってきます。そこで密葬の前に「仮通夜」を、本葬の前に「本通夜」が行われるとされましたが、社葬の前夜に営まれる本通夜はあまり定着することはありませんでした。現在、個人葬において近親者だけで営む通夜を「仮通夜」、葬儀の前夜に一般の人も参列して行われる通夜を「本通夜」と呼ぶようになっています。
 社葬は密葬の後に行われます。社葬は多くの僧侶によって読経をあげるなどの葬儀式と、社会的なプレゼンテーションを重視した告別式から成り立ちます。しかし、多くの場合はすでに密葬が済んでいるため、社葬では告別機能に重点が置かれるようになっていきました。
  社葬の対象となる人はその会社や業界のリーダーであったり、あるいは社会に対して大きな貢献があったと認められる人、さらには殉職した社員の場合もあるでしょう。告別式では、そうした貢献の大きさを会葬者に訴えることが中心となってきます。そこでは式文や弔辞などによって社会への貢献度や会社の発展との関係性で故人の顕彰が語られます。
 企業が主体となった告別式の中でも個性的な指導者や創業者の社葬では、故人の個性がより強く打ち出されていきます。こうした流れの中では、当然会社に対してのプレゼンテーション的な意味合いがさらに強まり、葬儀が本来持っていた宗教的は意味合いは相対的に低下していき、社葬はイベント化していきます。宗教的意味合いが希薄になれば、社葬は無宗教的な方向へと向かいます。葬儀の無宗教化が進めばパーティー色の強い「お別れの会」という方向への流れも出てきます。
 社葬がどのような形式で行われようと、会社にとってはそれなりの費用が必要です。不況が続けば経費を少しでも削減しようとする動きが出てきます。社葬もそうした動きが現れてきます。そこで最近は個人葬の延長として会社が行う「準社葬」が増加傾向を示しています。  
 
 儀礼としての形式よりも故人を偲ぶことに重点をおいたもので、ホテルなどを会場にしてパーティー的な要素を取り入れています。パーティーとはいってもあくまでも葬儀であることに変わりはありません。むしろ法事のような形といった方がいいのかもしれません。
 
 社葬は密葬の後で行われる本葬として位置づけられてきました。密葬と本葬との大きな違いは会葬者が私的か公的かということにあります。社葬が葬儀の一つの形態であり、本葬という名称を用いていることからも宗教儀礼は取り入れられています。しかし告別式の機能に重点が置かれているのが一つの特徴だといえるでしょう。ただ最近は告別式機能への比重をさらに高め、宗教儀礼から距離を置いたお別れの会方式が増えています。こうした風潮に対し、儀式としての故人を送るという本来の葬儀色を求めた社葬も行われています。  
 
 一般に社葬と呼ばれるものの多くは本葬方式に比べ告別式に重点が置かれています。これがいわゆる企業主体型告別式と呼ばれています。いわばオーソドックスな社葬といえるでしょう。
 
 社葬を本葬と呼んでもその中身は宗教的儀礼を色濃く打ち出している葬儀と、宗教色の薄い葬儀があります。宗教色の濃淡という違いはあっても、社葬は告別式に重点が置かれるのが一般的です。
 個性尊重型告別式は故人の生前の性格や信条にもよりますが、故人の個性をより強くアピールし、顕彰することを目的として営まれる場合が多くなっています。どちらかといえばお別れの会に近い内容とも言えるのでしょうが、お別れの会に比べると儀礼的な側面が残っています。
 
 
 社葬が一般化したのは日本経済の発展とも関係しています。企業が発展し存在が社会的に認められるようになってくると、創業者やリーダーの死を公的な形で公表し、多くの関係者に悼んでもらうという発想から、多くの企業が社葬を営むようになってきました。しかし、経済が不況になってくると、社葬の経費を抑えるという観点から個人葬に相乗りした合同葬という形での社葬が増加してきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
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