社葬と個人葬の一番の違いは葬儀を主催する主体です。もっと現実に則していえば葬儀費用を誰が負担するのかということです。社葬の場合は会社が葬儀費用を負担し、運営も会社が行います。個人葬の場合、葬儀の主体は遺族であり、葬儀費用も遺族が負担することになります。
 
 
 
 
 
 ところで、個人葬から社葬へと移行していく過程で大きな影響を与えたものに、葬儀規模の拡大が考えられます。故人の社会性が大きかった場合に会葬者は増加していきます。当然、物理的にもより広い葬儀会場が必要となってきます。また、故人にお世話になった多くの人が葬儀に参列しますが、その分、遺族にとっては全く知らない人も増えてきます。故人の社会的な立場が大きければ大きいほど、葬儀費用も参列者への対応も遺族では手に負えなくなるため、会社として葬儀を補佐せざるを得なくなってきます。
 
 
   
 
 当初は個人葬の補佐といった面を持っていた社葬ですが、企業側にも積極的に故人を弔う必要がありました。故人が企業活動で重要な役割を果たしていた場合、その人を失うこと自体が企業にとって大きな損失となってきます。戦国時代に名将の死をしばらくの間隠し続けて危機を乗り切ったという話はたくさん残されていますが、こうしたことからも影響力の大きな人の死が組織や周囲に与える大きさがわかります。
 
 
 現代では故人の影響力がいかに大きかったとしても、リーダーの死を隠し通すというのは社会的にも許されません。むしろできる限り手厚い社葬を行うことによって、後継者への信頼と関係者からの協力を得られるようにして、会社としての危機を乗り切ろうと考えられるようになったのです。
 こうして個人葬では手に負えなくなった部分を会社として補佐するという消極的な立場とは明確に異なった目的で社葬が行われるようになっていきます。社葬が企業戦略の一つとして組み込まれるようになれば、個人葬から分離・独立させる必要が出てきます。
 
 
 社葬が会社の危機を乗り切る戦略として促えられるようになってくると、次第に社葬を行えるかどうかが企業の実力を示す一つのバロメーターとなっていきます。社葬は税務処理上も経費として扱われます。そうしたこともあって、社葬が立派かどうかによって企業の「格」が判断されるようになり、企業やリーダーの格にふさわしい社葬が求められるようになっていきます。  
 
 
 
 死亡した直後は近親者のみで密葬を行い、その後で本葬を行うというのが社葬の建前でした。しかし社葬が会社や故人の格を表す場になってくると、葬儀の本来の目的であった故人を偲び、あの世へ送るという意味合いが薄れてきます。つまり、葬儀の形式化です。遺族としては形式よりも亡くなった人のことを大切にしたいという気持ちが強いはずです。本葬が形式化していけば、密葬にもより多くの人に参列してもらい故人を弔って欲しいという気持ちを抱くのは当然です。そこで近親者だけで行うという名目の密葬であっても、一般の会葬者も交えた一般的な形での個人葬が見直されてきました。  
 
   
 
 
   
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